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YON-KA STORY

YON-KAと私のLOVE STORY

下記は、ブランドとの出会い〜会社設立までを創設期である2005年に書いたものです。

その時の想いをそのまま綴ったものであり、未熟ながらも(だからこそ?)伝わるものもあるのではと思いそのまま残し掲載することにしました。
よろしければお読みください。

武藤興子

YON-KAと私のLOVE STORY

〜運命の出会いから、2005年3月に日本上陸を果たすまで・・・

「YON-KA」と私とのまるで恋愛のような「運命的な出会い」は、フランス、パリから始まりました。

出会ってすぐに、これまでの安定した仕事をなげうって「YON-KA」を日本に紹介するために奔走し始めたのは、なぜか・・・

日本の化粧品市場には良質の製品が星の数ほど存在するのに

なぜ「YON-KA」なのか。

誕生してから半世紀以上に渡る歴史の中で培われ

引き継がれた研究への情熱、自然への畏敬の念、

職人気質で細部にまで行き届いた製品づくりに対する姿勢、

親から子へと受け継がれたファミリーのこだわり、

そして、何よりも人を愛し、人を幸せにする製品・技術・サービスを

追及し続けた温かみ・・・

 

真のすこやかさ、心身の調和と再生を生み出す

YON-KAの製品とトリートメントと出会い

私の人生は一変しました。

情熱の女社長

起業してからの私を、多くの方がこのように呼んでくださいます。
情熱家? 私が? 驚きました。
昔から私を知る友人も、同様に目を丸くしました。

 

現在の仕事に携わってから、2003年より今に至ります。
それ以前の私は、年収とポジションUPのための転職スパイラル、起業しようなどとは、正直一度も考えたことはありませんでした。


私は、日本企業の古い体質の残るオフィスで、いわゆる「お茶くみOL」として、社会人生活をスタート。その後、いくつかの外資系企業に転職し、安定した年収とポジションを得られるようになっていましたが、情熱とは程遠い所で、自分が何をやりたいのか、そしてどの方向に進めば良いのかさえ分かっていませんでした。


「考えること」すらしなくなっていました。
「では、どうして?」と聞かれるかもしれません。

誰の中にも「情熱」は眠っていて、目覚める瞬間があるのだと思います。
私の内なる情熱が目覚めた瞬間はいつだったのでしょう?
なぜここまで、「YON-KA」にほれ込んでしまったのでしょうか?

YON-KA(ヨンカ)との出会い

私が初めて「YON-KA」と出会ったのは、当時勤めていた化粧品メーカーの出張で訪れたパリでした。

予定されていたミーティングが一つキャンセルになり、“マーケティングリサーチ”の名のもとに、パリで一番歴史の古い百貨店「ボン マルシェ」へいそいそと出かけました。

そこには、さまざまなデコレーションを凝らした、とても美しいパッケージに包まれたコスメたちが溢れ、見ているだけで楽しい気分になるものばかり。その中で、一つだけ、とてもシンプルなパッケージのスキンケア アイテムが私の目に留まりました。

「!?」
「シンプル」と言えば聞こえは良いのですが、薬箱のような「簡素で素朴」なパッケージ……
それが「YON-KA」でした。

後から知ったことですが、もともとは植物学者であった兄弟が、医療チームと共に治療を目的とした製品を開発・製造・販売していた経緯もあり、あの「薬のような」パッケージになったのだとか。製品の効果も、そして、パッケージにもこれで納得。

そして、こちらも余談ですが、「YON-KA」のクリームには大抵番号がついています。
例えば、「クレーム93」や「クレーム155」等など……。
これは、開発過程で、何百本とサンプルを作り「これだ!」という最高の結果、そして調合に成功した時の開発ナンバーだそうです。だから、「クレーム93」は、93番目に作った物が「これだ! できたぞ!」だった訳ですね。学者らしさの残る開発秘話ですね。

さて、本題に戻ります。その素朴な外見がどうも気になり、3回も4回もカウンターの前を行ったり来たり。最終的には、店員さんにアドバイスをもらいローション、クレンジング、セラムなど、数点を購入して帰路に着きました。

私は、10代のころから、自分の肌に悩んでいました。
にきび、肌荒れ、そして、キメの粗さ……その酷さは、19歳のうら若き乙女に向かって、「おい!そこのブツブツ!」と酔っ払いに大声で叫ばれるほど悲惨でした。深く傷ついたのを今でもはっきりと憶えています。

少しでも肌の状態を改善したくて、1ヵ月5万円もする漢方やありとあらゆる化粧品、肌に良いと思われるものは何でも片っ端から試していました。

その経験から「本当に良いスキンケア製品」を見極める眼が培われたように思います。

欧米と違い、日本人の多くは、年齢によって使うブランドやスキンケアラインを変えていきます。
しかし様々な化粧品を渡り歩き、あれこれと試して何が良いのか悪いのか判断が付くようになると、そろそろ“ずっと付き合える”化粧品が欲しくなります。私もその一人でした。
「YON-KA」はまさに年齢や性別を問わず、ずっと付き合える製品だと思いました。

「YON-KA」を初めて試した瞬間、「ふぅ~っ」…… まず、香りがとても良い!「気持ち良い!!」と言う感覚。
しかも、すーっと自然に香りが消えていくので、「かなり上質な自然素材を使っているな」とすぐに分かりました。
テクスチャーの軽さ、つけ心地の良さなども、化粧品メーカーの者らしく冷静に判断できました。

そして肌への効果の程は?
今まで、自然派コスメやアロマ系製品は、「香りが良く、肌には優しいけれど、効き目がない」というのが普通でした。またそれで許されてきました。

しかし、確実にその違いを実感したからこそ、もっともっとブランドや製品について知りたくなり、独自に調査を開始し「YON-KA」について理解を深めていきました。

  • フランスで半世紀以上の歴史がある老舗スキンケアブランドであり、植物学者の2人の兄弟により設立されたこと
  • 当時全く認知されていなかった自然派化粧品をいち早く取り入れたこと
  • 後発のオーガニック、自然志向のトレンドから生まれたブランドとは一線を画しており、学者気質の頑固さでこだわりの製品づくりを半世紀続けていること
  • 製造を委託するメーカーが多い中、製薬会社と同レベルの施設で開発、製造、梱包、輸送にいたるまで、全工程を自社で一括管理し、品質の高い製品を安定して送り出していること
  • 創設者の情熱は2人の娘に引き継がれ、現在では世界50カ国以上で展開していること
  • 派手な広告・宣伝などは一切していないのに、名だたるセレブリティが顧客リストに名を連ねていること
  • 世界のトップセラピストや美容のプロたちの間で話題になり信頼を勝ち得たことで、口コミで5000拠点に広まったこと

また、製品の特徴に関しても知るほどに納得していきました。
肌の調子というのは、季節の変わり目だけでなく、日々変わります。…ということは、必要なものは毎日微妙に違うのです 天候や気分によって、服を変えるように、「スキンケアも毎日着替える」。そして、必要なものは、一人ひとり違うのだと。

半世紀の歴史を誇る伝統的なブランドなのに、何て、新しい発想!そう思いました。

パリのボンマルシェで購入した製品をすべて使い切ったとき、「やっと出会えた!」と自分自身が肌で、そして心で実感しました。

このとき確実に、心の中に何かが生まれていたように思います。
気になって仕方がない…状態。
「恋愛初期症状」とでもいうのでしょうか?
「直感」にも似たものがありました。

しかし、これだけでは、その時の安定した収入やポジション、私財のすべてをなげうってでもやりたい!
というところまでは、行き着いていなかったように思います。

私の中の決定的な変化は、
ミュルタレア社(仏YON-KA)の人たちとの「出会い」から始まりました。

プロジェクト ビギンズ

心の中に生まれてしまった「何か」を求めて、「YON-KA」にアプローチを開始しました。
2003年の夏です。

担当者も分からず、何度電話をかけても、FAXを送っても返事はなし… 仕事が終わってからの“私の仕事”が何ヵ月か続きました。
(その後、すぐにこの仕事に専念するために、権利が取れる保証もまったく無いまま、いわゆる“見切り発車”で会社を退社してしまうのですが…)

ある日、懲りずに再度電話をかけてみたところ、不思議とスムーズに担当者のアシスタントが出てきました。何だかとてもフレンドリーなので、「変だな…?」とは思ったのですが、実は、、、思いっきり「人違い」でした。なんと彼女は、「YON-KA」との契約がほぼ決定している日本企業の担当者と私を間違えたのです。何という運命のいたずらでしょう?私とその企業の担当者とは、同姓だったのです!

この事件(?)で担当者が判明し、私にとってはラッキーなミスをしてしまったアシスタントに、「ビジネスプランを送るから、ぜひ、担当者に渡してほしい!!」と食い下がりました。
「今からだと無理だと思う」と言われつつも、FAX送信!そのプランがInternational Division のトップに届き、ついに「会おう!」ということになったのです。

既に実績のある8社の大手企業がアプローチをしており、ほぼ決定の状態にあったため、望みは限りなく薄く、最初はオフィスにも入れてもらえず、ホテルのロビーで第一回目のプレゼンテーションを行いました。あまりの緊張で、水もコーヒーも喉を通らず、倒れそうだったのを憶えています。

情熱の生まれる瞬間

その後も何度も渡仏しました。
2回目、3回目、4回目と訪ねていくうちに、事務所を見せてくれたり、ラボを見せてくれたり、工場を見せてくれたりするようになりました。

 

そうこうしているうちに、International Divisionのトップだけでなく、オフィスで働く人たちと会話をするようになっていきました。何度も訪ねていたため、社内ではちょっとした有名人だったようです。

 

そして、何と、社長、副社長とお会いするまでになりました。会社を見て、ラボを見て、工場やこだわりのものづくりを見て、働いている人と触れ合い、そして、トップの方たちの話を聞き、その人柄に触れ、
「この人たちのブランド、開発している製品、そして提供しているサービスなら間違いない!!」
と確信できました。

 

「もちろんビジネスだから、儲けは必要です。しかし、私たちは人が好きなのです。
“We love people”……」
それは、対外的な言葉ではなく、心から出てきた言葉でした。

製品やサービスへのこだわり、そして何より「情熱」と「愛情」を感じました。


彼女たちにとって、世界で「YON-KA」を扱っている企業もまた、そこで働いているスタッフ一人ひとりがみんな「ファミリー」の一員なのです。

 

「この人たちと一緒に働きたい!」
そう思った時、私の中の「情熱」が生まれた瞬間だったのだと思います。

この出会いが無ければ、今の私の人生は、まったく違っていたことでしょう。

もっとも大事なことは・・・

製品の品質が良いのは大前提、間違いありません。
それは「YON-KA」を知る、きっかけとなってくれました。

 

「YON-KA」の本当の、そして一番の素晴らしさは、「人」です。

それは、フランス本社の社長・副社長をはじめそこで働く人たちだけでなく、「YON-KA」に携わるすべての人という意味です。情熱を持ったプロフェッショナルたちが提供する、一人ひとりのニーズに合わせたパーソナルな製品やサービス。その原点は「人ありき」であるということを、常に感じるのです。

家族の一員として

皆さんからよく聞かれる質問があります。
最終的に、私個人が「YON-KA」の独占販売権と世界で初めて直営店「L’ESPACE YON-KA」(レスパス ヨンカ)の運営権を獲得したわけですが、

 

「どうして、仏Multaler社は、名だたる大手企業ではなく、個人のあなたを選んだのだと思いますか?」


その理由は3つでした。

1つ目は、「YON-KA」というブランド、そしてその理念をどの企業よりも、誰よりも深く理解していたから。
世界で展開する上で、何が重要で、どうあるべきかという方向性が、ミュルタレア一族の考えとぴったり一致していたこと。


2つ目は、ビジネス上の観点から。最大限の準備をして望んだプレゼンテーションが考慮されました。しかし、実際、数字やデータよりも目に留まったのは、ビジネスプランの斬新さ。「他の大手企業には無い魅力的で斬新な発想があった。」と後々になって聞かされました。


そして3番目、最終的な決め手となったのは、「情熱」と「人」の部分だったそうです。ビジネスであっても、最終的には人と人。「誰と仕事をしたいか」、と言う事を重要視して決めた。


最後に言われました。
「私達も興子と働きたいと思った」と。
その年、日本に送られてきたクリスマスカードには、


Dear Kyoko,
Welcome to YON-KA family!
「YON-KAファミリーへようこそ……」


嬉しさのあまり、涙がこぼれ、手が震えました。
私にとっては最高のサンタさんからのプレゼント。


この言葉があるからこそ、そして、出会いがあったからこそ、今も、そしてこれからも情熱を持ち続けることができるのです。


「情熱がすべての原動力」。
情熱はあらゆることを可能にしてくれます。


Multaler社長、副社長であるフランソワーズ、キャサリンも、父と叔父から情熱を引き継ぎ、世界中で「YON-KA」に携わるすべての人が同じ想いを共有している。そして日本のYON-KAファミリーである私たちも・・・。


それが「YON-KA」なのです。

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